主にTwitterに書ききれない長さの文章を投稿するところ。WonderlandWars(wlw)とあんさんぶるスターズ!!(あんスタ)をしてることが多い。
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この間の日曜日、じーちゃんのお手伝いでじゃがいも掘りしました。
じーちゃん、母親、妹、私の4人で。
そのとき、じーちゃんが正面にいたんだけどこんな話をしてました。
「じーちゃんは小学生のころから芋掘りしてるんだ。兵隊に行った人の家の、家事を手伝わなきゃならなかったから。それで芋掘りをした。そのときはみんな学校なんて行ってなかったから、みんな馬鹿だった。」
別に老害よろしく、上から目線で声高に語り、私たちを見下すような話し方ではなかったですよん。普段から、認知症の祖母と2人で生活してるので、私たちと会うとお喋りしたがるんです。
で、私は思いました。「いいな」って。
戦争は確かに嫌だけど、芋掘りしてればよくて、学校なんて行ってる場合じゃない。そんな状況を確かに羨ましいと思ってしまった。いけないですねー。今の自分がどれだけ恵まれてるのか、わかっちゃいない発言ですねー。
勉強したくても学校に行けない貧しい国の人たちを見て「学校行ったり勉強しなくていいなんて羨ましい」って言うような、そんな発想だと思います。
確かに、今の私たちは恵まれていて、子供の頃のじーちゃんが私たちを見たら「羨ましい!贅沢な暮しをしている!」って考えると思う。でも私はじーちゃんを確かに「いいな」と思う気持ちがあった。
なんでなのかな、って前々から結構考えてるんだけど、悩むことに疲れちゃってるからかなって思う。
昔の人たちは国から「これをしなさい」って言われてることだけしてきた…と思う。戦争だから兵隊に行け、兵隊に行った家の家事や農作業を手伝え。それだけしてればよかった。みんなそうだったから、何も考えずに命令に従ってればよかったんじゃないかなって思ってる。
それに比べて私たちは随分自由が増えた。女性が働くことだってそう。フレックスとか、色んな働き方が広まったのだってそう。小学校と中学校は義務教育になったし、高校とか大学に行く人もとっても多くなった。自分で選べるようになった。単純に喜ぶべきことなんだと思うんだけど、その分考えなきゃならないこともとっても多くなった。それに疲れちゃってるんじゃないかなって。
それは昔の「自由が(少)なかった人たち」からしたらすごく贅沢な悩みなんだと思う。でも、それが疲れるほどあるから、考えなくてもよかった人たちが羨ましいって感じちゃうんだと思う。
それか、「欲求の段階説」の上の方にある悩みが多くて、そっちの方が難しいんだと思う。仮に下の方と上の方で難しさが同じだとしても、下の方は考えたことがないからわからない、何もしなくても自然と満たされれるものだと甘く思ってる。だから下の方の欲求にだけ気持ちを向けていればいいのは楽チンでいいな、って思っちゃう。
そんな感じなのかなって。
贅沢病みたいなもんなのかなぁ…。でも、それに慣れ切っちゃってるからなぁ…。
いかんと思ってもなかなか直せないけど、何も思わないよりはマシかな、って思うことにする。
じーちゃん、母親、妹、私の4人で。
そのとき、じーちゃんが正面にいたんだけどこんな話をしてました。
「じーちゃんは小学生のころから芋掘りしてるんだ。兵隊に行った人の家の、家事を手伝わなきゃならなかったから。それで芋掘りをした。そのときはみんな学校なんて行ってなかったから、みんな馬鹿だった。」
別に老害よろしく、上から目線で声高に語り、私たちを見下すような話し方ではなかったですよん。普段から、認知症の祖母と2人で生活してるので、私たちと会うとお喋りしたがるんです。
で、私は思いました。「いいな」って。
戦争は確かに嫌だけど、芋掘りしてればよくて、学校なんて行ってる場合じゃない。そんな状況を確かに羨ましいと思ってしまった。いけないですねー。今の自分がどれだけ恵まれてるのか、わかっちゃいない発言ですねー。
勉強したくても学校に行けない貧しい国の人たちを見て「学校行ったり勉強しなくていいなんて羨ましい」って言うような、そんな発想だと思います。
確かに、今の私たちは恵まれていて、子供の頃のじーちゃんが私たちを見たら「羨ましい!贅沢な暮しをしている!」って考えると思う。でも私はじーちゃんを確かに「いいな」と思う気持ちがあった。
なんでなのかな、って前々から結構考えてるんだけど、悩むことに疲れちゃってるからかなって思う。
昔の人たちは国から「これをしなさい」って言われてることだけしてきた…と思う。戦争だから兵隊に行け、兵隊に行った家の家事や農作業を手伝え。それだけしてればよかった。みんなそうだったから、何も考えずに命令に従ってればよかったんじゃないかなって思ってる。
それに比べて私たちは随分自由が増えた。女性が働くことだってそう。フレックスとか、色んな働き方が広まったのだってそう。小学校と中学校は義務教育になったし、高校とか大学に行く人もとっても多くなった。自分で選べるようになった。単純に喜ぶべきことなんだと思うんだけど、その分考えなきゃならないこともとっても多くなった。それに疲れちゃってるんじゃないかなって。
それは昔の「自由が(少)なかった人たち」からしたらすごく贅沢な悩みなんだと思う。でも、それが疲れるほどあるから、考えなくてもよかった人たちが羨ましいって感じちゃうんだと思う。
それか、「欲求の段階説」の上の方にある悩みが多くて、そっちの方が難しいんだと思う。仮に下の方と上の方で難しさが同じだとしても、下の方は考えたことがないからわからない、何もしなくても自然と満たされれるものだと甘く思ってる。だから下の方の欲求にだけ気持ちを向けていればいいのは楽チンでいいな、って思っちゃう。
そんな感じなのかなって。
贅沢病みたいなもんなのかなぁ…。でも、それに慣れ切っちゃってるからなぁ…。
いかんと思ってもなかなか直せないけど、何も思わないよりはマシかな、って思うことにする。
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